1.私の安全・救助に関する経験(その1)    福島 挙人

1-1まえがき

ここに記載したセールボートの救助・安全については江の島ヨットハーバーで経験したものである。江の島ほどディンギーが集中して置いてあるところは、他には少ないと思われ、その意味では、ここでの経験は一般的とは言えないかもしれない。だが、浜辺の小さなグループや、小さなヨットクラブでも、救助や緊急事態が起きた時の対応は同じことになる。私も砂浜を含め色々の場所でのセーリングの経験があり、救助艇を買うお金がなく、セーラー自身・自分達でA級ディンギーやスナイプを救助したものだ。現在は小さなグループ出も小型のゴムボートやテンダーを持っているところが多い。小さなグループほど自力再帆走、自力救助の精神は強く持っている。従って江の島での経験に該当しない部分もあると思う。しかし、江の島では、色々な艇種の艇があり。最近では49er29erInt14Ftなど高速・高性能艇も多くなり、普通の救助艇の速力では追いつかなくなってきた。それだけ、セーリング海面も広大となり、これに対応するには高速ゴムボートが必要で、乗員もウエットスーツにライフジャケットとセーリングの服装でセーラーと同次元で救助にあたる必要が出てきた。従って、どの組織も捨てるべきは捨て、取りいれる点はいれ、救助機材、体制、人間も改革が必要になってきている。そういう目安になれば幸いである。

1-2江の島での救助統計

湘南港(江の島ヨットハーバー)でのセールボートの救助統計を示す。この統計は同港での救助を受持つ鰹テ南なぎさパークから提供されたもので、内容は事故原因別、救助艇種別など、貴重なものである。この様な内容の統計を全国的に集めれば、これから安全対策を行なううえに役に立つ。

江の島での救助統計の特徴は次の通りである。(添付参考資料1)

(1)   圧倒的に多いのは乗り手の技量不足と整備不良。今後、この問題の改善努力により事故件数は減るか、現状維持を保つことが出来るだろう。

(2)   意外に多いのが、クルーザー、テンダーボート、ゴムボートのエンジントラブルである。最近のエンジンは電子化され修理が難しい。しかし、何とか海上で野応急修理技術の確保が課題である。

(3)   所属団体別では無所属セーラーの事故が多いことだ。昔から言われたことだが、一匹狼では海では危険だと。どこかの組織に所属することが安全に繋がることになる。

(4)   最近はディセーラーが増加している。小型クルーザーはキールが重く復元力があるが、ディセーラーはセンターボードか小さなキールで横流れを抑えている。従ってバランスは乗員の体重で行なうことになる。しかし、艇が重いので荒天時には引き起こせなくなる。又最近の艇はメインのリーフ装置がない。さらに、横転した時は、コックピットに浸水して、きわめて起し難くなる。オーナー、スキッパーはそのことを承知の上で使用すべきであろう。

1-3統計からの教訓として

(1)   強風等で横転した時の再帆走技術の修得

(2)   救助艇により救助された時の処理方法、また曳航される技術

(3)   出艇前における艇各部の点検、修理。

(4)   天気予報の確認(現場では観天望気:添付参考資料2

(5)   自己技術の評価(第3者に正しく評価してもらうことも重要)

などが大切である。

1-4港利用セーラーに対する危険のインフォメーション

国際的なセーリングスポーツの習慣に従い、港のメインマストに注意のフラッグ(吹流し)を掲揚して知らせる。同時に校内放送及び窓口(出艇、帰着の申請窓口)に掲示を行なう。

メインマストに赤旗(赤色吹流し)の掲揚   ――― ディンギーの出艇禁止 ――――

基準 

@ おおよそ、最大瞬間風速13m/s以上、

波高2.0m以上となった時。

A 雷、霧、波など各種注意報、警報発令時、

周囲観察のうえ、出艇を禁止する。

B 寒冷(温暖)前線通過の迫った時。

C その他非常事態発生時

1-5メインマストに黄色(黄色の吹流し)の掲揚 ― ディンギーの出艇後注意を要する ―

基準     おおよそ瞬間最大風速10m/sを超え、以後天候の悪化の恐れがあるとき。

例外事項   以上の基準で出艇禁止が行なわれているが、この例外として次のことがある。

(1)   船舶安全法の適用を受けているクルーザー、救助用モーターボートなどは出艇することが出来る。但し、全責任はオーナー及び艦長にある。

(2)     キールボート(ドラゴン、ソリング級など)は出港できる。

(3)   世界選手権、全日本選手権、国体、其れに準ずる高度な技術を要する大会で、主催者が全責任を負うもの。

(4)   オリンピック強化練習、世界選手権、全日本選手権、国体選手強化練習、EYCジュニア強化練習など主催者側が全責任を負い、海上に救助艇、指導者を配置するもの。

(5)   但し、台風の場合は、例外なく全艇の出艇を禁止する。

別表 湘南港の出艇禁止及び出艇注意の取り扱いについて参照

1-6出艇禁止、注意の決定

以上の処置判断は常駐する鰹テ南なぎさパークで行なっている。

湘南港の実勢(利用艇数) 20038月現在

係留クルーザー                  96

陸置クルーザー                  61

陸置ディンギー                  625

外部利用秋スペース           225                  ヨット合計782

指導・救助艇                     42

常時出動救助艇                  1隻

常時出動大形ゴムボート    2隻

海上保安庁大形艇                            1

海上保安庁救命ボート                     1

EMC                                                2

江の島は日本国内ではディンギーの保有数は多いが、欧米のヨットクラブと比較するとクルーザーの隻数が少なく規模は小さい。港内には指導及び救助艇は42隻もあるが、これらは江の島で活動する固別団体のもので、その団体が活動する時に出動する。従って土曜、日曜には多数が出港し、突然の強風に吹きまくられた時などは大変有効な力を発揮する。随分これらの救助艇に助けられたセーラーも多い。しかし、それらの指導・救助艇が出動していない平日の大時化時は、海上保安庁は別にして、「なぎさパーク」の大形ゴムボートに頼ることになる。一番怖いのは、こうした手薄な時に起こる事故である。その意味では常時出動救助艇と常時出動乗員の存在は極めて大切で、それが江の島の顔となり力となる。近くの海岸にあるヨットグループからも緊急時には湘南港事務所やEYCに救助要請がくる。遠方で遭難艇が出たときは、葉山マリーナ、葉山鐙摺港、逗子マリーナ、佐島マリーナなどに連絡支援を仰ぐこともある。

1-7出艇・帰着申告

江の島では、出艇、帰着時には申告書による届けを鰹テ南なぎさパーク事務所受付に、又EYCクラブ員はクラブ事務所で行なっている。申告書の提出と同時に湘南港の名入りの三角フラッグ(No.入り)を受け取り、艇のスティに掲揚する。帰着時にはその旗を返却することで帰着を確認している。申告書には氏名、年齢、住所、連絡先(自宅)、艇の種類、セール番号、陸置き番号、出艇先に海面を記入する。

この申告書は極めて重要な役割を果たす。年間何回か帰着が遅れ海面に漂流している艇を救助することがある。

ディンギーの通常の帰着時間の17時に、帰着申告がなされない(申告用紙が残る)場合、先ず陸置場に艇があるか点検し、次にスロープに船台が残っているかを調べ、帰港していない事が判明したら直ちに救助艇を出港させる。時には何処かに入港して自宅に帰ってしまう人がいるので、自宅への確認も取る。特に夕方、無風になった時は帰れずに沖で漂流している場合がある。強風時には漁港やマリーナに連絡する場合がある。最悪なのは、申告をしないで出艇し遭難した場合で、他からの偶然の連絡で遭難が判明することもありうる。

1-8救助艇の装備

救助艇として必要な装備の例を挙げる

(1)   遭難艇を固定する必要が出た時の、アンカー、チェーン、ロープを多数。及びブイ。

(2)   多種類の艇を曳航するための、ロープを多数用意して後部デッキに。

(3)   拡声器、メガホン、発炎筒、音響発生装置、消火器を備えておく。

(4)   バケツ(排水用)、救命浮環、ライフジャケット(救助される人用)

(5)   救急箱、保温衣類

(6)   工具類:ドライバー、ペンチ、プライヤー、ワイヤーカッター、レンチ、プラグレンチ、シーナイフ等

小型のテンダーを救助艇として使用する場合でも、アンカー、チェーン、ロープ類は必要となる。又、バケツやライフジャケット、工具類、救急箱などを用意したほうが良い。

1-9救助体制のあり方

(1)                 江の島ヨットハーバーのレスキュー組織について述べる。この組織は鰹テ南なぎさパーク、(社)EYC、神奈川県セーリング連盟を主力として、港利用のセーリング団体、個人セーラーなどで支えられている。救助の指導者や大形ボートは鰍ネぎさパークとEYCが救助艇と要員を常駐体制で対応している。常駐はしていないが救助艇、要員を県セーリング連盟、藤沢市ヨット協会が出している。また、非常時にはEYCジュニアクラブのコーチ陣が多数の救助艇を出動させられる。また、個人ボランティアベースで以前から救助活動に協力している人もいる。このように救助を港の管理者だけに負わせるのでなく、セーラー全体で支えることを目的としている。

(2)         江の島の特徴のひとつとして、出艇禁止の例外措置を決めたことは意義深い。昔、湘南港窓口が県営であった頃、強風注意が発令され出艇禁止になってもEYCジュニアヨットクラブのOP強化チームは救助艇を随行させて練習を続けた。県当局は責任者を呼びつけ。「やめろ」、「やめない」と窓口で言い合いをする歴史が長く続いた。しかし、時もたち、長年の経験と実績から今日のようになったことは有難いことである。江の島のセーラーは、EYCジュニアがアジア大会でOPクラスの金メダルを獲得したが、その基礎は、どんな時化の日でも練習を止めないパワーにあることを知っている。

どのクラスもそうだが、世界選手権で強風になると日本選手は「尻」になってしまう。これは強風で乗っていないからだ。こうした傾向を打破する力に江の島がなる事を願うものである。

(3)          出艇禁止をめぐる論戦で次の問題が提起される。港に停泊中に天候が悪化した時に出港するか見合わせるかの判断は船長にある。台風が来る時フェリーボートや貨物船が出港、避難、出港を見合わせるかを決めるのは第一に船長である。フェリーボートの場合、会社も意見を言うであろう。この判断は港湾長、ハーバーマスターが行なうものではない。恐らく天候の悪化による出港禁止を行なうことの出来る港湾長はいないであろう。例えば、北朝鮮貨物船が日立港で座礁し、その撤去が遅れ大問題となり県条例で損害保険に十分加入していない船舶の入港禁止を決めている。この様な例外処置はあるうだが、港湾長には出入港を天候により止めさせる権限と機能はない。セーリングボートの場合、クルーザーは通常遠洋航行に適応するように作られていので、大形船舶(?)に準じて扱われている。しかし、ディンギーは別である。乗り手はオリンピックセーラーからOPクラスの子供までいる。出艇するか、しないかを判断できないセーラーも多い。この場合、港の管理者、セーリング団体でそれらのセーラーに出艇するか否かを知らせるべきであろう。もし、知らせずに誰かが出港し事故を起し、死亡したとする。その遺族が管理者グループ責任者を告発したらどうなるか。

国際的な慣行として、船長、艇長の責任だと言っても、国内法では問題になるのではないだろうか。

似たような問題として、ヨットレースでは帆走指示書に「レースに参加するか、しないかは艇長の判断による。主催者はレース艇の事故による責任は一切負わない」と国際ルールに従って記載している。また、事故による責任は一切負わない旨の文章をレース参加者に同意のサインをとっているレース委員会もある。しかし実際にレース中に死亡事項が発生し、その責任を、その時海上で指揮をしていたレース委員長が負わされた例がある。外国でもユースのレースで責任をレース委員長が負った例がある。こういった現実を考えた場合、悪天候、その他の条件からセーラーを守るために、何らかの方法で出艇禁止を明示することは現実的な処置といえるのではないか。但し、江の島の様な例外的処置ももうけ、複雑な現状に対応することは良いことと思われる。

1-10救助の実践経験から

湘南港では東京オリンピックでハーバーが建設され一般に開放された以後から、(社)EYCでハーバーの救助を行ない、現在は鰹テ南なぎさパークも専用のレスキューボートで運用している。長年の救助実践経験から次の項目をハーバー利用のセーラーに求めている。

(1)   救助艇から投げたモヤイロープを結べるようにして欲しい。

(2)   出艇する時は、その日の天候を把握(午前中穏やかでも昼から風が強くなることもある)すること。

(3)   風の強さと自分の腕と相談のうえ、帆走して欲しい。

(4)   セーラーの技量を越えた状況下でのレスキューは仕方がない(上達には経験も必要である)ので幾らでもレスキューするが、艇の整備はしっかり行なって欲しい。

(5)   横転時に人員は大丈夫か、早急に合図で伝えて欲しい。

1-11ロープの結び方

「実際の経験例」 完全に沈(キャプサイズ)したディンギーに近づくと、乗員は疲労しているがどうにか自力で艇を起しセールも下ろした。救助艇から曳航用のロープを投げると、クルーが受け取ることができた。ロープを「マストにもやえ」とメガホンで指示するが、クルーはロープをマスト部分に持っていくが結び方がわからず、いきなり固結びで結んだ。「それでは、直ぐに解けるぞ」と怒鳴るがどうにもならず、そのまま曳航を開始する。曳航時の安全、ハーバー前でのロープの素早い取り外しを考えると、これでは困る。

実際的な曳航時に簡単にマストにロープを固定できる結び方を紹介する。

モヤイ結びを逆方向から行なうことを緊急時に上手く出来ないことがある。またクラブヒッチなどを使うと固まって解けなくなることがある。

1-12横転したら艇から離れるな

やむを得ず、作業などで艇から離れる場合は必ずメインシート、ジブシートその他の艇に固定してあるシート(ロープ)を持って、泳がなくても艇に戻れるようにすること。岩場に流された時は、アンカーが命綱だ。

「実際の例」 今年の8月の休日、風はあまり強くなくせいぜい8m/sが瞬間最大であった。普段出艇していないシーホースクラスが3人乗りで出港していった。やたらにワイルドジャイブに近いことを数回したので、大丈夫かなと思った。しばらくして、ハーバー正面の小動岬の鼻(コユルギノハナ)に向かい一隻のヨットが流されて行くとハーバー内のセーラーが騒ぎ出した。見るともう岩近くに押付けられてどうしようもなくゴムボートも近づくことが出来ない。1人が漁船に助けられ、残りの2人は岩の上に逃げて無事であった。しかし岩に乗り上げた船体は波が荒くて引き下ろせなく、波が収まってから曳航するより方法がない。翌日の夕方、岡本造船の傍を通ると、船体はめちゃくちゃに割れ無残な姿となったシーホースがあった。

※ クラスルールでアンカー、パドルを積まないでも良いクラスもある。レースでは、それでも良いが、練習その他では積んだ方が良いようである。

1-13ディンギーにお客を乗せる時

夏など親しい友人や会社の同僚などをディンギーに乗せる時があるが、この時は用心しなければならない。技量の低い人が1人いると、その人をカバーして、その人の知識、技術に合わせてセーリングすることになる。よく、政府が金融機関に対する“船団行政”が日本の金融機関を弱めたとの話がある。これは戦時中、輸送船団に1隻でも速力が遅く性能が低い船がいる時は、その船に合わせて高性能船も速度を落として低性能の船に合わせることになり、船団の能力は極度に低下する。ディンギーのクルーがレースに出場する時のレギュラーメンバーであれば、荒天でも無理をして走れるが、その人が優秀でも、他の1人がセーリングに無知だとすれば、その人に合わせ艇の技量も極度に落ちる。比較的大きなディンギーにセーリングできるのはスキッパー1人、他の4人は素人の場合、急に天候不良になった時は、素人の4人は運行の助けにならずに、逆にお荷物になる。

筆者も経験あるが、荒天時に判断不能になり風下側に飛び込むように移動した人がいた。未経験者は艇がヒールすると艇の中にいることが安全だと考えてしまうので、ハイクアウトや風上に座ってのバランスを期待することが出来ない。大勢で乗る場合は、必ず熟練したスキッパーと同じ熟練したクルー1人と、他にゲストは2名程度にとどめておくべきと考える。

1-14出港時の点検

(1)   スティのワイヤーと末端部のシャックル、ターンバックルとの接合部

(2)   マスト・ステップのビスの緩みがないか

(3)   ラダー回りのガジョン、ピントルの取り付けに緩みがないか

(4)   ティラーに割れが入っていないか。エクステンションが痛んでいないか。

(5)   キングストン(ドレーンプラグ)が締められているか。セルフベーラーは機能しているか。

以上は毎回自動的に点検することが肝要である。

これ以外にも、雨、霧によって視界が悪い時は必ずコンパスを積む。レース艇にはコンパスが装備されているが、古くなり空気が入り使用できない物も多い。筆者もコンパスが無く失敗したことがある。昔、佐島でレースがあり江の島からディンギーで向かったが途中で霧が深く、一寸先が見えなくなり闇雲に走っていたところクルーザーに出会った。場所を聞くと森戸の海岸でもう少しで名島の岩に突っ込むところであった。それ以後、ポケットに入るハンドコンパスをセーリング時には何時も持つようにしている。

1-15出る前に天気を聴こう

出艇前に必ず天気を聴こう。朝天気がよくても、朝の天気は昼から違ってくるのだ。一昔前は年配の漁師に天気を聴いたものだ。「今日は富士山の上に雲が流れているから、昼から吹くぞ」と。早い時は10時半頃、遅い時は昼過ぎ、1時半頃に突風が来る。沖の色が真っ白か濃紺に変わってくる。直ぐにメインセールを降ろして、ジブだけで一目散である。

海に生きるには先輩や年寄りの経験の蓄積を馬鹿にしてはいけない。船乗りの世界はイギリスの「ヒュームの経験論」の世界である。明治の初めに日本にも海軍の創設に併せてヒュームの哲学が入ってきた。未知の世界である海で生きるには、経験の蓄積から方向を探り出すことが大切となる。天気予報は、海や山の様子をよく見ていた人の経験が貴重になる。それが出来るのが年寄りである。その上、船乗りは理論より実践を重んじる。この思想は現代とは違うものにうつるが、海の世界は昔から今でも変わらないのだ。

1-16忘れられない出来事

1) Y15クラスの死亡事故

平成12318日、Y15クラスに家族4人を乗せて、葉山から江の島にクルージングした艇があった。航海途中で南西の風が強まり、波も高くなり鎌倉沖の定置網にラダーを引っ掛け航行不能となった。スキッパーは網から外そうと作業中に落水し艇に戻ろうと力泳したが強風と高い波に押し流され行方不明となる。その3時間後に風下にある七里ガ浜海岸に死亡して流れ着いた。

Y15クラスのスキッパーは学生でまだ若かった。橙色のライフジャケット、ブルーのドライスーツを着用し、3月という気候でも十分な服装であった。何故、それだけの装備をしていて死亡したのか不明であった。

スキッパーを失ったヨットの救助は、たまたま練習帰りの芝浦工大ヨット部テンダーに無事救助された。その後に到着した海上保安部救助艇とEYCエボシがスキッパーの捜索をおこなったが発見できず3時間後に七里ガ浜でサーファーが発見し連絡があった。

2) なぜ、完全装備のスキッパーが死亡したか

当時、江の島の海上保安部では、恐らく艇に戻ろうとして風上に向かって泳ぎ、強い波飛沫によって窒息したと想像されると言っていた。

また、大谷たかお氏も「オーストラリアでも強い風と波に叩かれ、ライフジャケットを着用していても死亡することがあった。そのような時は波に逆らわずに流されていく方が良い。一番大切なことは、艇が横転したり、作業する時は、必ず手にシートを巻きつけたり持つことが大切である」と言っている。「片手は艇のために、片手は自分のために」という教えがある。

3) 視界不良の方向不明による遭難

大分以前に江の島で行なわれたレース(オリンピックウイーク)中に( 雨、視界不良、スタートマークから上マークが見えず、N系の風が8m/s程度のコンディション)、レース終了近くでフィニッシュ記録を記載した時に一隻未着が判明した。各マークの回航記録を照合した結果、470クラスの1隻が不明と判明した。既に日没も近いので運営艇全艇をスタート地点から風下側に捜査網を引き、同時に海上保安部へ救助要請を行い、FAXでレース委員会救助方針ならびに海象を報告したことで保安部はコンピューターで遭難艇の予想位置を算出し、夜間救助体制を大島を含めて艇の配置を行なった。恐らく完璧に近い救助体制であったが、一晩捜査をしたが見つからず翌朝に大島東で通りかかった貨物船に救助され2人の乗員は無事であった。

この470クラスの遭難原因はティラーを折ったためにラダーが使用できなくなったことだ。メインセールを降ろし乗員はそのままセールに包まり保温して助かった。夜中に海上保安部の巡視艇が傍を通ったので大声を上げて助けを求めたが聞こえず通過してしまった。

 




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